おーい、こっちこっち。

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カッパドキア最終日。

カッパドキア、色々な画をありがとう。大好きです。

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宿のチェックアウト後、以前からパンクしていた前輪タイヤの修理。
細かい針がねが5つも刺さっていて、前代未聞の1回に5ヶ所のパンク修理。びっくりだ。
タイヤが異様にかわいそうに思えた。
いつも、ありがとう。100kgにもなる重量を支えてくれて。
これからも、よろしく~

そして、今晩予定通り夜行バスでアンタルヤまで。
アンタルヤはセレブの香りがぷんぷんするところだと聞いている。
物価も高い。いわゆる、高級リゾート地。
エジプトのダハブのような安リゾートとは勝手が違うらしい…
そんな所に、ひょっこり自転車にまたがった変な髪型の東洋人が行けば、
どれ程溶け込めないかが目に見える。

だから、

明朝到着予定なので、そのまま次なる目的地オリンポスへ漕ぎ進める予定だ。
オリンポスには、ツリーハウスが何棟かあるらしくそこで宿泊ができるらしい。
ツリーハウスと聞いて「山・山・山」をイメージしがちだが、違う。
そこには、ビーチがある。
そう、地中海に面している。
温暖な気候に山に海。
そりゃ、ヒッピーが好むわけだ。
ツリーハウスの下にはテントを張れるスペースもあると聞いている。最高。興奮。
いや~、楽しみだ。
ま、オリンポスネタはまた。

以下の写真は昨日紹介したちょうよう氏が僕を撮って下さったもの。
美しいわ~ありがたや。

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では、また~
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by kazunori_maruse | 2010-06-27 01:25 | トルコ

ともあき。朝陽。ちょうよう。

メルハバ~。
本日は、素敵な写真を撮られるともあきさんこと、ちょうよう氏のご紹介。
カメラもよければ腕もイイ。チョキイイ(トルコ語でベリーグッド)!!あぁ、うっとり。

以下写真は全てfromちょうよう

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空中遊泳

彼とは、イスタンブールの宿で一度会っていた。
サフランボルの宿にて再会。
それよりずーーーっと同じ時間を共有してきた。その間、1週間以上。
バリカンも共有した。
刈り合った。

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しがみつく!

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レール

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ワン猫


あぁ、美しい。
これからも、美しい写真を撮り続けてください!!応援してます。
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by kazunori_maruse | 2010-06-26 21:56 | トルコ

カッパドキア。

サフランボルよりバスを乗り継ぎ約10時間、カッパドキアに着いた。
…のは、もう4日前のことか。

まートルコのバスはすごいわ。さすがバス社会。乗っておいて良かった。
公共交通機関のサービスはその国を大いに表すもののひとつだと思う。
従業員の対応はどうか、定刻に発車するのか、設備はどうか…など色々見ていて面白い。
この度、お世話になったバスはほぼ定刻に発車。
きれいで快適な座席にドリンクサービス、おまけに個人テレビ付き。まるで飛行機。
自転車を預け荷物に普通の流れで預ける事が出来たことには、先進的な印象を受けた。
中東だともう一人分のお金を払ったり、断られたりと色々あった。

トルコ中部の観光ハイライトのひとつ、カッパドキア。
アナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯。
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キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観。
奇岩の中に残されたキリスト教壁画、地下何十mにも掘り下げられた地下都市と様々な顔をもつ。自然が作り上げた神秘。数億年前の噴火によって作られた。火山灰と溶岩が数百メートルづつ積み重なった末、凝灰岩や溶岩層になった。その後、風雨によって浸食され、固い部分だけが残されて不思議な形の岩となった…
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とにかく、カッパドキアの観光は歩き回る。楽しすぎる。
歩けば歩くほど奇岩達が様々な顔を見せてくれ驚き、感動する。
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渓谷の散策も最高だった。
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朝晩の冷え込みには、標高1000mの高地を感じるカッパドキア。
スコール見たいな雨が突然降ってみたり、干からびてしまいそうな程暑かったり…
空模様も様々だ。
狙っている夕日スポットへは明日行く予定。いい天気だと良いのだが。どうなる事やら。

いい感じの箱にも出会った。これもまた、最高。
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あと二日間のカッパドキア滞在予定。しっかり満喫しよ~
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by kazunori_maruse | 2010-06-25 06:07 | トルコ

決定!!

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昨夜、突然の大雨。気持ち良いくらい降った。

朝はすっかり晴れ、サフランボル観光二日目開始。
まずは、昨日のサフランボルマダムへ写真のお届けに。
予想以上のリアクションが最高。良かった、良かった。

それから、ぶらぶらしていると色味の好きな扉が多々出現。
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こちらは伝統的なドアノック。
上から男性訪問客用、女性訪問客用。一番下は家族用の鍵。
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そして、宿に帰ると温かいオーナー夫婦がお出迎え。
帰るところがあるっていいな。ありがたい。
そこは、旅人の間では美女が働く宿エフェ・ゲストハウスとして有名な宿。
彼女はトルコ語、英語、日本語、韓国語、アラビア語、、、など8ヶ国語を話す。天才美女。
さらに、夫婦そろってとにかく親切。数少ない本当に宣伝したくなる宿の一つ。

ちなみに、8年前の挙式時の写真。
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ここで、彼女を一目見ようと訪れる旅人への忠告。
只今、産後1ヶ月の彼女。このイメージでいったら大変なことになりますから要注意。
甘いもの大好きな彼女。

口癖は「幸せ太り!!!」。

二人の馴れ初めを聞いた。
「あんた、何でそんなにかっこいいの?」って彼女が旦那さんをナンパしたんだって。
そりゃ旦那さんついていくわ。

彼女は恥ずかしそうに「私は普通じゃない」と言っていた。
だよな~。ましてイスラムの国だもんな~。

こちら、部屋からの眺め。素敵。
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夜、今後のウィーンまでのプランを久々に慎重に考えた。

明らかに時間が足りない。

旅のどこに重きをおくのか。
どうにもかんにもちゃりんこをこぐのか。
訪問先で心ゆくまで過ごす時間を優先するのか。

そして、すんなり答えが出た。
バスでカッパドキアへ入り、そこから地中海に位置するアンタルヤまでバスで行こう。
そこからちゃりんこ再開。
トルコのちゃりんこは黒海、地中海、エーゲ海沿岸と海スペシャルでまとまりもイイ。
地中海沿岸部は、小刻みに訪問したい都市があるからトルコ滞在はまだまだ続くと。
バスのおかげで約2週間の節約になる。ありがたいありがたい。

ということで、明日にはカッパドキアINNだ。

久々の長距離バス楽しみ~
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by kazunori_maruse | 2010-06-21 06:05 | トルコ

サフランボル到着

イスタンブールよりゾングルダックへ黒海沿いを漕ぎ進んだ。
ゾングルダックより電車とちゃりんこでサフランボルへ。

約3週間ぶりのちゃりんこ旅。
体力落ちたな~と実感。
追い打ちをかけるように平らな道がほとんどなかった。
時折現れる急激な坂道…漕げません。押して歩きました。
工事中のため突然路肩が無くなったり…久々に感じる車の恐怖。鉄のかたまり。
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それでも漕ぎ進めれたのはめちゃくちゃ優しいトルコ人のおかげだ。
これまでの訪問国の中でも群を抜いての親日国だと感じた。

「Japan、goooooooooooooooooooooood!!!」

と言う時の目つきがいつもと違う。ハグ・握手の力強さが違う。ありがとう。
英語でのコミュニケーションさえ容易にとれないにもかかわらず感じることのできる、
トルコ人の日本愛。
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トルコ人の親日の理由に文化的共通点として、家の中で靴を脱ぐ、座卓での食事、トルコ語文法が日本語に近いなどがあげられる。歴史的には、日露戦争でトルコの宿敵ロシアに勝利、エルトゥールル号事件の対応などが考えられている。

田舎を漕ぎ進めたため、人口1000万人とも1500万人ともいわれる大都市イスタンブールでは難しいであろう純朴な人々との出会いに恵まれた。
簡易消防車で隣町まで運んでもらったり、数えきれん程のお茶の誘い、牧場の間借、家への招待…
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最高の笑顔に、温かいおもてなし。感謝。

「起伏の激しいトルコの山道」
「親切で温かいトルコの人々」
この絶妙なバランス。
ツンデレ。

たまたま通りがかった町で、トルコ国技ヤールギュレシ(オイル・レスリング)の大会が催されていた。レスラーはクスベットという牛革を縫い合わせて作られた黒い革ズボンを身に付け、全身に大量のオリーブオイルを浴びて組み合う。相手の背中を地面につければ勝ちのようなルール。ポイント制もあるらしい。
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あまりの盛り上がりに「何かの祝日か」と尋ねると「平日だ」と返ってくる。
雰囲気はまるで祝日。この国民性大好きです。

そして、本日、昼前にサフランボル到着。
14~17世紀に最も栄えた中世の雰囲気ぷんぷんな街。石畳がしっくり。人口約5万人。
意外に大きい。
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土壁に木の窓枠が並んだ独特の木造家屋には、今も人々が暮らしている。
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ここには、特に観光名所があるわけでもなく、この街並みを見ながらのんびりと過ごすのにぴったりなところ。めちゃくちゃ気に入った。最高。

ぶらぶらしていると、サフランボルマダムに遭遇。
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「こっちに来なさい」と招かれた先では白い野イチゴを収穫+召し上がり中。
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最後は、「写真撮ってー」と願ってもいないご要望。
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イスラム圏の女性は写真を基本的に嫌うのだが、そこは、やはりトルコ。
ヨーロッパに近づいただけあってオープンだ。
特にこの年代の女性が「写真、写真」なんて本当にレア。
明日は、サフランボルマダムへ撮りたての写真プレゼントで再会だ。楽しみ。
彼らと言語は一切通じない。
しかし、ジェスチャーと声があればなんとかなる。
そこがまた良いな。
やっぱり人間だ。

こちらの人々へ写真の現像プレゼントは思っている以上に喜んでもらえるからこちらも幸せ。

ありがたく体調も膝もすこぶっている。
数日間は、思う存分サフランボルを満喫しよう。

ありがたい日々は続く…ありがとう
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by kazunori_maruse | 2010-06-20 14:38 | トルコ

まだまだ、イスタンブール。

本日、イスタンブール9日目。ホント、あっという間。
町を散策したり、バリカンしたり、ちゃり旅トルコ編の準備したり、トルコ式風呂ハマムに行ったり…とりあえず早かった。

まー、素晴らしい出会いに恵まれ充実した日々を過ごしています。

驚くことに旅人マッサージ師マサシ氏との一年半ぶりの再会も果たした。
まさに、4度目の正直。嬉しすぎ。感動。

そして、念願のマッサージをして頂いた。マジ幸せ。気持ちいい~
ストレッチやらのアドバイスも頂いた。あぁ有難い。

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怪しいポーズ…こんなリクエストに答えて頂いて、感謝です。


世界三大料理のひとつトルコ料理と自炊で頂く日本食によって弱った体力は復活!!
変な咳が止まらないのがちょこっと気になりますが、漕ぎ始めれば治る気がしております。

そして、いよいよ明朝再出発します。
黒海沿岸を東に漕ぎ、サフランボルを経てそこから南下しカッパドキアを目指します!!

では、また~
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by kazunori_maruse | 2010-06-14 03:26 | トルコ

ようやく、晴れた。

イスタンブールここ数日、雨雨雨だった。結構激しいの。

昨日はぼちぼちの天気で、本日がつっと晴れた。

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ませた猫発見!!

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かわいい街並み。色味が最高

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ブルーモスクの夜景


二週間ぶりにしっかりと声帯を使ったせいか、そこら辺がが痛い…声が出ない…

これが治り次第、出発しよう。
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by kazunori_maruse | 2010-06-10 05:45 | トルコ

僕は、すこぶる元気です。


2週間にわたる収容所生活が終わった。
そして、待ち受けていたのは、強制送還だった…


事はこうして起きた。

タルトゥースよりラタキアへ無事到着した。完全ローカルな小さな港で野宿をした。
翌日、その港で露店を出しているおじさんAと話が盛り上がり、家へ招待して頂いた。
ちゃりんこ旅やウィーンについて話は大いに盛り上がった。その翌日、出発を考えていたが大雨と突風により断念した。しかし、二泊連続でのAさん宅は気がひけたので断った。だから、二日前の港で再び野宿をしていた。すると突然、懐中電灯で照らされ起こされた。

「何してるんだ?パスポートを見せろ。」と警官3人。

まーこういうことは少なくはい話なので「明日の朝には出て行くから寝させて」と頼む。
「今晩は悪天候で危険だから、海上県警のオフィスで寝ていきなさい」と何度断っても折れないので、ありがたくお世話になることにした。オフィスに着くとお偉いさんの部屋へ通されて、旅について徹底的に質問された。そして、深夜ようやく寝床に就けた。
翌朝オフィスを出ようとすると「おい、これからジェネラル(普通の警察)に行くから待て!!」と止められた。「はい?なぜ?日が昇る前にこぎ始めさせてよ」とねばっても一向に聞く耳を持ってくれない。ただ「何らかの情報がある」としか言われない。

しばらくして、ちゃりんこと僕は中心街にあるジェネラルのオフィスへと移された。
お偉いさん3人の部屋をたらいまわしにされた。
かたことの英語でのコミュニケーションしかとれないからどーしようもなかった。まるで遊びといった具合だ。そして、4人目の部屋へと回された。すると、通訳が入室してきた。安心した。この短時間で何度もされた「旅のプラン」についてのしっかりした聴取が始まった。全ての言い終えた後、ボスが一言「イスラエルには行っていないんだな?」と。「絶対行っていません。」と言いきった。

ボスの一声で扉が開かれ、入室してきたのは港で露店を出しているおじさんAだった。

この瞬間、全てが分かった。
A宅へ招待して頂いた際、初めてシリア人へ「イスラエル訪問」を口にしたのだった。
彼のお店には海上県警の人も来る。完全に僕の詰めの甘さだった。
Aは頭がキレる。イスラム教徒であるが、とても広い視野を持っている。
Aなら大丈夫だと判断していた。あえて口封じもしていなかった…

普段はTシャツ短パンな彼が慌てて着たような感じではあるがスーツに身を包んでいる。表情は今にも泣きそうな強張った顔で「かず、なんでここにいるんだよ?何したんだ?」といきなりの質問。答える間もなく「しゃべるな!!」とボスに制止された。そして、供述の復唱が始まった。Aの聴取が通訳によって完璧な英語で読み上げられた。続いて僕のだ。そして、サインさせられた。

やはり問題は「イスラエル訪問」であった。

しかし、Aはこれが原因なんて思ってもいないような顔で「何が問題なんですか?なぜ、僕らここにいるのですか?」と英語で彼らに質問した。
なるほど、Aは「イスラエル訪問」について言ってはいけないことだと知らなかったんだと…
どのようにして警察の耳に入ったのかは定かではないが、伝わる経路はそこしかなかった。
ボスがAに何やら話した後、Aは僕にこう言った「今、さよならを言わなければならない…」と。愚かな事に僕は、数分後の釈放だと思っていたので「何言ってるんだ?また後で港へ行くから~」なんてのん気な返事をしたのだった。

Aが退室した後、ぶら下げていたカメラのデータチェックが始まった。
幸運にもイスラエル訪問後に写真データをPCに移し替えていたのでその時はイスラエル訪問の決定打のようなものがなく気の抜けたような彼らのリアクションだった。
その後、扉が開きようやくの開放だと思われたが、連れて行かれた先は地下だった…
自転車も運ばれてきた。
重厚な扉にぶら下げられた極太南京錠がただならぬ事態を予感させた。扉が開かれた。
目に飛び込んできたのは、裸にアイマスク、手足を手錠で縛られ吊るされている男性。
その周りに、数人の警察だ。手にはムチ…

瞬時に体が硬直した。膝が曲がらない。一歩が出ない。筋肉の委縮。
「行け」と背中を押され、拷問の真横を通り個室へと連れて行かれた。
そこでしばらく放置された後、「荷物を全部出せ」と一品一品リストアップされた。
PC、カメラなど証拠になり得そうなモノとそうでないモノに分けられ、全て取り上げられた。
高い位置に小窓のついた、四面が壁に囲まれた独居房へちゃりんこと共に移された。
通訳の人に恐る恐るこう尋ねた。
「開放されるかな?」
「大丈夫。信じてくれ!!」と自信満々。
この言葉に助けられ信じたが、何も音沙汰がない…

すぐそこで、行われる拷問…
恐怖に満ちた泣き声、痛みに耐える野郎の声、怒鳴り散らされるアラビア語、殴る音、
何かで叩く音、頭を壁、床へ叩きつける音…
いつ自分にやってくるのか常に恐怖心でいっぱいだった。
胃酸が絶え間なく出る。胃が痛くて重くて寝れない。
足音が近づく度に、扉が開く度に覚悟した。
1日に3度~5度開かれる扉。
2度出される食事とトイレの時のみ。時間外のトイレには応じてくれない…
小便は、部屋に備え付けてある空のペットボトルを使い何とかしのぐ。
朝食はホブスという薄いパン1枚にヨーグルトかジャムがちょこっと、オリーブが20粒程度盛られたもので、昼食は夕食を兼ねてホブス2枚にじゃが芋、トマト、キュウリ、バナナなどの野菜や果物が1、2種と米か麦がちょろっと盛られている。塩味さえもない。

独居房では何よりも嘘をつき続けた事を悔いた。愚かな自分しかいない。
「自由とは責任」友人の言葉が何度も出てきた。
シリア入国後、様々なおもてなしを受けていた僕は、その間ずーっと嘘つきで裏切り者の何物でもなかった。最低だ。あんなに親切にしてくださったのに…
そして、とどめは警察官への嘘の供述だった。最後の最後まで嘘をつき続けた自分に萎えた。そのことが、ずっと己を苦しめた。拷問の恐怖はそれにより増した続けた。

2晩が経った…

昼前、いつもと違う時間に扉が開いた。
「今から、ダマスカスへ行くぞ。5時間トイレはないから行っておけ。」と言われた。
3人の犯罪者と共にバスに乗せられた。自転車も一緒だ。
ボスらしき方へ恐る恐る「ダマスカスで何するの?」と。
「大丈夫。時期に自由だよ」と。しかし、もう信じれなかった。
そう言われて長い長い2日が経ったのだから。
この時、初めて手錠をかけられた。。
搬送車の中で、一人の警官がやたら笑顔で話しかけてきた。
前日に行われたサッカーの話題みたいだ。
「昨日は、日本が韓国に2-0で負けたよ。日本応援してたのに…」とこれにも心が萎えた。
裏切り者への素敵な笑顔と日本ファン…「ごめん」と心の中で言うことしかできなかった。
バス移動では、ボスのトイレ休憩で停車してみたり、4人いる警官の内3人が寝てみたりとしばしばお国柄を垣間見ることもできた。

そして、ダマスカスの大きな収容所に着いた。
通された部屋で、荷物のチェックと全裸でのボディーチェックをうけた。
またあの重厚な扉が目に入った。開かれた扉の先は、100mくらいの長い通路。
両脇には鉄柵がずらり。その奥には囚人達。薄暗い内部、重たい空気。
映画の世界だ。ここに入るんだと覚悟した。
通路の最後にマッチョな教官がいて「座れ!!」と一声。一気に緊張 。
「壁の方を向いてだ!!」と続けられ緊張MAX。
そこで、1時間くらいだろうか放置された。その間にも拷問はすぐ後ろの方で行われている。

「悪いのは自分以外何物でもない。全てを受け入れます。」と心の中でツブヤキ続けた。

そして、「立て!!」の一声がかかった。上の階へと連れて行かれた。
カメラ付きの個室で再び放置された後、二人の男性がやってきた。警官と通訳だった。

真実を話そう。そう思った。全てを伝えた。

通訳がこう言った「わかっていました。何故あなたのパスポートにイスラエルの出入国スタンプがないのか疑ってたんです。何か特別な関係があるのではないかと。けど、これで分かりました。軍事の写真を撮っていないかPCやカメラのデータチェックをした後には自由ですよ」と。イスラエルの写真がPCに入っているが軍事にかかわる写真は一切ないのでホッと安心した。イスラエルの写真の消去は覚悟した。もう、どうでも良かった。
何とも言えぬ爽快感。嘘つきからの解放。変なストレスはどこへやら。

そして、又しても四面が壁に囲まれた今度は窓無しの独居房へ移された。
毛布が2枚置いてあるだけ。24時間消えることのない12本中3本のみ点いている蛍光灯とカメラとエアコン。毛布1枚を半分に折り、敷布団へ。もう1枚も半分に折ってその間で寝る。敷布団3枚、掛布団1枚。それでも、腰が痛くて何度も起きる。
食事、トイレはラタキアの収容所と同じ時間帯にやって来る。食事内容も同じだ。

通訳の言葉を再び信じ待ったが、2日経っても、3日経っても何もない…
1日が長い。1日の95%は布団の上で過ごす日々。
声を発するのは配膳・トイレのとき教官へ「ありがとう」の一言。
そして、毎日運ばれてくる犯罪者達への拷問がフロアの至る所で行われていた。
「次こそは自分だろうか、いやそんな事はない。けど…」と拷問の恐怖は続いた。

見えぬ先と拷問の恐怖…
脳が不安をつくり、精神を病み、肉体を滅ぼす。まさに悪循環だった。
既に身体はぼろぼろ…

そして、ある転機を迎えた。
過去を悔いるのは止めよう。不安を作りだすのは止めよう。伝えるべき事は全て伝えた。
後は、判決を待とう。と開き直った。プラスにプラスに。

ここから、体調もぐーっと回復。何よりも胃が軽い。
拷問の恐怖は度々やってきたが、直ぐに打ち消す。
ストレッチをしてみたり、今後の人生プランを考えてみたり、自分の一番古い記憶を探ってみたり、般若心経を読んでみたり…
そして、いつからか宿泊日数さえも気にしなくなった。

一番の楽しみは、トイレにある小窓から外を覗くことだった。ほんの十数秒だが。
柳のような葉が見え、風になびかれ揺らいでいる様が自然を懐かしく感じさせた。
何よりも僕にエネルギーを与えてくれた。
かすかに聞こえる無数のクラクション音、モスクから聞こえるアザーンが、世間とそんなにかけ離れた所にいるのではないと安心感を与えてくれもした。

ある日、ネームカードを持ち写真を撮った。実刑を覚悟した瞬間の一つだ。

カツカツと紳士的な足音がしようものなら、いよいよ来たかと背筋をぴんとさせてみたり、
「ヤパーニ(アラビア語で日本人の意)」のような言葉が聞こえたら耳を澄ましてみたり、
月日は流れた。風景の変わらない日々。本当に時間は流れているのかと疑ってしまう程に。

そして、夜いつもと違う時間帯に扉が突然開かれた。
ガタイの良い教官がめっちゃ怖い顔して、両手をぱたぱたと鳥のようなクリオネのようなジェスチャーで僕に何かを伝えている。噴き出して笑ってしまいそうな程、おもしろ仕草だった。噴き出すまいと必死に耐えた。
それは、この部屋からの開放を意味していた。
荷物など全て受け取って、搬送バスに乗せられた。バスに乗るまでの十数秒間、星を見ながら深い深い深呼吸をした。本当に幸せだった。
20分後位に着いたところは、イミグレーションオフィスだった。
ボスはさらっと一言こう言った。

「強制送還で日本行きだね。現金ある?ないなら収容所へ送るから。
心配いらないよ。大使館の方が来るから。」

「現金はありません…」

「OK」

「…」


それから、小部屋に移されて全ての指の指紋をとられたり色々した。
あまりにさらりと言われたのでしばし現実味が無かったが、そういう判決なら受け入れよう。当たり前だと思った。

しばらくして、再度バスに乗せられ収容所へ移された。
いつもの扉と極太南京錠が目に留まった。
それを通ると、極太南京錠と大きな柵がもう一枚。諸手続の後柵の奥へと通された。
ある部屋は、50畳くらいの部屋にマットレスが敷き詰められ、その上にずらりと黒人が横たわっている。肩を重ね重ね、びっしりと。また別の部屋は、同じようにアラブ人がびっしりと横たわっている。
又しても硬直した。これまでとは別の恐怖感だ。
一斉にみんなの視線は中国人か日本人か分からない変な髪型の東洋人へと注げられた。
どんな思いで僕の事を見ているのかと心配になった。

ここでしばらく生活するのか…

教官が「ここ(アラブ人側)にいろ!!」と。
すると、一人の親切なエジプト人が半分使いなと誘ってくれた。ありがたい。
そして、「お前ダマスカスから来たならシャワー浴びてないだろ?浴びてきな。」とシャワーへ連れて行ってくれた。約三週間(二週間の収容所生活+その前の旅の間の一週間)ぶりのシャワーを浴びようと服を脱いだ。水シャワーだから手足を洗って温度に慣れてから身体を洗おうと思い手足を洗っていると、あれよあれよと言う間にシャワーが弱くなり間もなく止まった…
あれ??とあたふたしていると、今日は終わったみたいだと言われた…
脱ぐ必要無かったなと心の中でぼやきつつ服を着た。
緊張しながら部屋に戻ると、僕の想像とは裏腹にみんな明るい陽気な人で話は盛り上がった。数人で円になり談話した。
この施設は、不法滞在者が収容される場所だと分かった。皆、強制送還待ちだと。
彼らの中には、もう5ヶ月以上ここにいるという人もいた。チケットを買うお金がないんだ。家族や友人が送金してくれるまで待つしかないと言っていた。
小さな子供も数人いる。彼らの両親が犯罪を犯し刑務所にいるからここでその間生活してるんだと。
色々な世界があるんだなと思った。

その晩は、やはり寝付けなかった。
大勢の人々の騒音や色々な事を警戒していたので神経が休まらなかった。

翌朝、昨晩のイミグレーションオフィスへと再び移された。
大使館の方がそこにおられるのかと複雑な思いになった。安堵と申し訳なさ。
しかし、小部屋に収容され何の音沙汰もなく5時間程度が経った。
小部屋には、入れ替わり立ち替わりで15人くらいの犯罪者がいた。

そして、「ジャパン」と声がかかった。緊張。
通された部屋に入るなり、日本の方が目に入った。直ぐに大使館の方だと分かった。
「健康状態は大丈夫ですか?」と優しい一声。気がひける思いでいっぱいだった。
彼に状況を説明した際、6月6日と日付を記された。もう、2週間も経ったんだ…。
日本を出たのが6月3日だったから、この旅の一年を収容所で迎えたんだ…。なんて思った。

「この場合は、強制送還で日本行きの可能性が高いですね。」と大使館の方。
既に覚悟していたので、「はい。大丈夫です。」
「けど、やれるだけやってみます」と大使館の方。
ボスと他に選択肢はあるのかないのかなど話して下さり、僕も横から「プリーズ」と懇願。

すると、願ってもいないイスタンブールへの強制送還の許可が下りた。

本気で嬉しかった。隣国だ。最小限のフライトだ。
大使館の方が、その場ですぐ航空券を手配して下さった。手際の良さに感動。
しかし、「自転車を飛行機へ乗せれるかは分からない」と旅行代理店の方。
警察も「搬送車が小さいから自転車を空港まで持っていけない」と。
全く問題なかった。仕方がない事だと承諾。
すると、

「やれるだけの事はやるのが僕のポリシーです」

と大使館の方。
本当に本当に感謝。かっこよかった。気が引けまくった。
自転車を空港まで運ぶ大きな車の手配をしてくださり、空港へ送ってくださった。
自転車が航空機に搭載できなかった時のために、外で待っていてくださり、その時は大使館で保管しておきますと。親切すぎて、もう頭が上がらない。

いざ、チェックインカウンターで自転車を載せれるか尋ねると
「おっけーおっけー」とすんなりいけた。
段ボールなどの梱包材もないので、分解してラッピングでぐるぐるにした。
激しく扱われたら致命的な破損も受ける可能性はあるが、
ここまできたらやってみるしかなかった。祈った。

そして、出発ロビーではなく別室にて待ち、搭乗ゲートをくぐるところまで警官に送られた。
「本当に、ありがとう」で別れた。

2時間程度のフライトだから、機内サービスは飲み物くらいで終わりだろうと思っていた。
しかし、機内食が出てきた…
24時間ぶりの食事。2週間ぶりのしっかり味の付いた食事。
のたうちまわるほどにおいしかった。
一噛み一噛み、ゆっくりとゆっくりと。
何でこいつこんなに食うの遅いんだという視線もどーでもよかった。
とにかく、幸せだった。

そして、無事イスタンブールへ着いた。
これにて、強制送還完了となった。

己の旅のプランしか考えず、スタンプなければ入国できるだの、できないだのと表面的な事ばかりにとらわれ、物事の本質を見抜けない愚かな僕の過ち。こんな大きなことにならないと、単純な”嘘をついてまで旅をする”ということが良いのか悪いのか判断できない未熟さ。本当に勉強になった。全ての経験に感謝。

そして、大使館の方々をはじめ、露店のおじさんA、現地の多くの警察官…多くの方々に大変な迷惑をかけてしまった。

心からお詫び申し上げます。




そして、旅はまだまだ続く…
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by kazunori_maruse | 2010-06-06 17:36 | シリア



丸瀬 和憲           旅人鞄作家が『感性』という不思議な能力を磨くべく地球上を転げ廻ったのち、米子で帰農♪ という日々の日記。
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自給的に暮らすと共に、胡麻の自然栽培の普及に夢中。

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