おーい、こっちこっち。

避難所生活終了!

宮城県気仙沼市の避難所で住み込みボランティアをされていた、
旅人マッサージ師マサシさんより雛所生活一区切りを告げるメールがきたので転写します。

---転写はじまり---

こんにちは!みなさん。(一斉送信で失礼します)

被災地支援に一区切りをつけ、地元の名古屋に戻ってきました旅人マッサージ師マサシです。

家族には約一か月と伝えておきながら、まさかの半年越えをしてしまいました。

十月に入り、ついに閉鎖すると告げられた避難所で生活をする被災者たち。

妥協して空いている仮設住宅に移った人や個人でアパートを借りた人、元の家の改築・修理が間に合い移っていった人など各々最善を尽くして、自分の移りゆく場所を決めていきました。

そのなかで、どうしても行く先が決まらない人達は待機所と呼ばれる場所に移動していったのでした。

僕のいた鹿折中学校避難所も例外ではなく閉鎖の日が来ました。

最後に残った二人を見送たその日の夜、体育館に泊まるのは僕一人でした。

「明日の朝に掃除と後片付けをするので、今夜も泊まっていっていいですよ。どこでも好きなところで寝てください(笑)」
市役所の職員が吹き出しながら言いました。

震災直後は足の踏み場もなかったほどの人口密度だった体育館。

5月には300人を切ったとはいえ、一人分のスペースは畳一畳もあるかないかの狭いもので、やがて段ボールで家族単位で仕切られ、お互いに顔と名前を覚え、譲り合い・・・また気を使いあいながら生活をしていた不思議な空間。

今宵はついに僕一人。

寂しくなんかありません。

むしろ任務をやりきった達成感で感無量でした。

半年前の震災直後、僕はテレビの前で葛藤しました。

とんでもないことが起こったが、さぁどうする?
「しばらくは名古屋で定職に就き、これからの将来設計を立てながら日本社会での第一歩を歩き出します」
そう家族の前で啖呵をきった手前、
「やっぱ今のなし!」
じゃ軽すぎる。
何をすべきか?どうすべきか?自分に何ができるのか?本当に自分が出しゃばっていくことなのか?

あれから半年が過ぎ、今では誰よりも被災地のこと・被災者の気持ちが分かるボランティアの一人になれたと思っています。

妙に高い天井、そして広く・・・それでいてなんだか狭くも感じる殺風景な部屋。

約10年間、宿泊施設での平均滞在日数が年間250日を超える僕ですが、今まで泊まった部屋のなかでも最大のシングルルームです。


翌朝、市役所の職員達と一緒に掃除をして、避難所は完全に体育館へと姿を変えました。

「お世話になりました!」
道場を出るときのように深々と頭を下げ、腹の底から出した挨拶を空間の隅々まで行き届かせました。

僕にとっては理想の形で避難所を後にすることができました。

それからまたしばらくの間、島も含めた気仙沼市内を挨拶回りしてから思い出深い被災地を出発しました。

半年という月日は僕の中でも一つの目安にもなっています。

旅の出発地点であるオーストラリアのケアンズにいた期間も半年。

残り半年でオーストラリアを一周しました。

インド一周に費やした期間も半年。

カナダでオーロラガイドをしていた期間も半年。

フランスのパリ、イギリスのロンドンも半年ずつ。

初めて西ヨーロッパを回った期間も半年。

北アフリカから南下を始め、西部・中部・南部経由で最南端の南アフリカまで到達したのも半年でした。

一つの場所で半年以上滞在したのは、地元である名古屋とカナダのバンフぐらいなものです。

この半年を振り返って、またこれまでの数々の半年間と比較してみて、悔いの残らない気持ちのいい半年を過ごせました。

ここで繋がった人脈も断つつもりもないし、忘れるつもりもありません。

これからの被災地支援にできる限り生かしていこうと思っています。

よそ者にとっては長い期間でも、地元の人からみたら一年でさえ「たった一年いただけのよそ者」です。

大切なことは期間の長さではなく、どんな影響を与えたことか?です。

人脈なり情報なりを生かして被災地とかかわっていく。僕に課せられた新しい任務の始まりです。

今回の被災地支援にあたり、個人的に支援金というか餞別を送ってくれた方もいました。

それらのお金があったからこそできた活動・差し入れ・行動範囲の拡大は確実にありました。

大きなことができる金額ではないけれど、個人の活動の足しにするには十分な額でしたし、何よりはっきりと顔が想い浮かぶ相手からのお金は重さが違うのです。

心の余裕と行動への一押しを助けてくれたのは、みなさんからの支援のおかげだと思っています。

金額に関係なく、あらためてお礼のメールを個人的に送らせていただきます。


「またね、気仙沼!」
そう別れを告げた出発当日、いきなり蜂に刺されて急患として市民病院に運ばれてしまいました。

10年以上も海外障害保健もなく病院にお世話になることなどなかった僕ですが、最後の最後に気仙沼市民病院で診察券を発行してしまいました。

世の中、何があるかわかりませんね。ギャフン!

あぁ・・・、ひょっとしたらこの先もこの街にお世話になるのかもしれませんね。

そんなこんなで、

宮城県を出発した後は、福島県にもちょっとだけ足を伸ばしてきました。

自由に動けない福島県。訪れた先は「いわき」です。

映画「フラガール」でもおなじみの場所ですよね。

友人宅に泊めてもらい情報収集をしたところ、放射線を過剰に意識している神経質な住民は既に街を出ていってしまったので、現在残っている人たちは比較的腰の据わった動じない人達。
確かに納得のいく保証もないままの不安定な状況ですが、ひとまず落ち着いてきているようです。

それにしても、ほとんど子供の姿が見えない公園というのは、寂しいものです。

公園が仮設住宅によって埋め尽くされている気仙沼に比べたら、まだ幾分マシなのかもしれませんけどね。

ちなみに福島以外の被災地では放射線量についての話題はほとんど出てくることもないですし、気にして暮らしている地元民はまずいないと言っても過言ではないでしょう。

なにはともあれ、

気持ちにも一区切りつけて名古屋に戻ってきました。

しばらくは適度に出張マッサージでもしながら執筆活動に専念できたらいいと思っています。

今回は早めに名古屋に戻っておきたかったので、関東・北陸・中部巡りは控えておきました。

予約が集まれば東京出張も考えていますので、誰か希望者がいましたら教えてください。

それでは
SEE----YAA---  FROM 旅人マッサージ師マサシ

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---転写おわり---
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by kazunori_maruse | 2011-11-01 05:19 | 他モロモロ
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丸瀬 和憲           旅人鞄作家が『感性』という不思議な能力を磨くべく地球上を転げ廻ったのち、米子で帰農♪ という日々の日記。
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