おーい、こっちこっち。

半年を過ぎてfrom マッサージ師マサシ

宮城県気仙沼市の避難所で住み込みボランティアをされている、
旅人マッサージ師マサシさんより 『半年を過ぎて』 と題されたメールがきたので転写します。

---転写はじまり---

一斉送信で失礼します。

皆様、お世話様です。(これ宮城県で最も一般的な挨拶)

未だ被災地支援を続けています旅人マッサージ師マサシです。

東日本大震災より早半年と2週間が過ぎました。

現在気仙沼市にある避難所の中で代表的な三大避難所は、総合体育館、市民会館、そして僕が常駐している鹿折中学校体育館です。
三大避難所と大袈裟な表現をしましたが、現在の人数はどこも40人前後で、一月前に比べると約半分以下にまで減りました。

避難所の人数も着々と減ってきていますが、半年を過ぎても避難所が存続していること事態が問題であり、あちらこちらで非難の声が上がっています。

まずは現在避難所で生活している被災者たちは、いつ仮設住宅に移れるのか?

誰もが気になる基本的な問題ですよね。

二週間前の9月の中旬までは頻繁に仮設住宅の抽選会が行われていました。しかし最近では抽選会の話はめっきり耳にしなくなりました。

現在(9月26日付け)の避難所生活者の人数は約250人。
これらの被災者全員を受け入れるだけの仮設住宅はまだありませんので、現在もその対策を練っているところですが、問題なのはそこよりも現在ある仮設住宅に被災者たちが入りたがっていないことです。
現在空きがあるのは交通の便が悪く、遠く、不便な仮設住宅。つまり人気がないところばかりなのです。

「どうせ人数分の仮設住宅がまだ無いのなら、おそらくこれからわずかな敷地を見つけてでも新たな仮設住宅が建設されるだろう。むしろ、そうでなくちゃ困る。ならばどうせここまで待ったのだ。わずかな可能性かもしれないけど、少しでも立地条件のいい仮設住宅に入りたい」

何人からもこう言った意見を耳にしました。これが避難所にいる人たちの本音だと思います。

これも一見贅沢な意見のようにも聞こえてしまいますが、一概にそうとは言い切れないところもあり、通勤・通学までの交通手段や車のない家族にとっの買い出しのことを考えると、確かに「そこに追いやられてしまうと困ってしまうよ!」と声を上げたくなるのもわかる気がします。

市役所側からすると、不便かもしれないけど現在市内や県外に建っているた空きのある仮設住宅にできるだけ多くの被災者に入居してもらって、そのうえで次の手立てを考えたいところ。
これもわからんでもない気がします。

そんなこんなで、現在はお互いの出方をうかがっている沈黙状態。まさに「根競べ」状態です。

この「根競べ」に負けて出ていく人たちも確かにいます。
「もうここにいたってしょうがない。あきらめてこの町を出ていくよ」
「お世話になりたくなかったけど、他県にいる親戚のところに行くよ」

など仕方がないことなのかもしれませんが、心情的に残念な気持ちで見送られなければいけない人たちが、一人また一人と住み慣れた街を跡にしていきます。


「そろそろ避難所として使っていた場所を返してほしい!」
こんな意見も上がります。
公共の場でもそうですが、特に小学校や中学校にある避難所に対して向けられています。
「子供たちがかわいそう!」
無理もない意見です。
「もう避難所生活者の人数も少なくなったんだから、大きな施設一か所に集めて、他の避難所は閉じるべきよ!」
合理的に考えれば確かにそうです。
しかし実質問題、ただでさえストレス状態の高くなっている「避難所生活者最終組」を大移動させることは、知らない土地への移動を嫌う東北の人たちにとって、われわれの予想を上回る精神的負担がかかるはずです。
ご自身も被災者である気仙沼市の市長はそれを理解し、できるだけ自然な形で避難所が解散していってくれること押しているのです。

結果、現状維持が沈黙状態のまま続いている感じです。

さらに問題がもう一つ、
避難所にいる被災者のなかに未だに80歳を過ぎている高齢者の姿が見えることです。

この問題は避難所というより仮設住宅で起こっている問題にかかわってきているような気がします。

仮設住宅に移動した高齢の被災者の中で特に独り身の方が急激に弱っているようにも感じます。

震災という衝撃的な出来事がおこり、緊張のなかの避難所生活を終えて自分一人の現実に戻った時、どっと疲れが出るのでしょう。

仮設に移った独居老人から
「あぁー、避難所暮らしのほうがにぎやかで楽しかったなぁ」
という声が漏れます。
「眠るときに、このまま行ってしまうのではいか・・・と毎晩思うわ」
という声も普通に聞こえてきます。
確かに避難所という場所は高齢者には一見ふさわしくない場かもしれませんが、プライベートへの執着心が弱い高齢者にとっては一般の見解が必ずしも当てはまらないのかもしれませんね。
実際の避難所における高齢者の生活を見ると目隠し(段ボール等で作られた壁)を立てている人はほとんどいないのです。
プライベート空間よりもコミュニケーション空間。
人によって優先されるべきものは異なるようです。

その他、仮設住宅の思わぬ造りのモロさへの不満、田舎暮らしの人特有の狭さへの不満、冬越えへの不安、新たな震災への不安などなど、ただでさえ不透明な未来に加え、身近な不安が次々と上がってきているのが仮設住宅の現状です。

あくまでも僕個人的な見解で避難所と仮設住宅見る分には、
「人はどんな環境でも慣れ、乗り越える」
と思っています。
避難所がこのままでも大移動で集められても、与えられた環境で暮らしていくでしょう。

子供の適応力は大人以上です。体育館や運動場や公園がなくても、子供はどこでも遊びエネルギーを燃焼させてくるはずです。

なんだかんだで仮設住宅で冬を越え春を迎え、各々の生活スタイルをみつけていくことでしょう。

必要な物資や対策は遅れながらでも国や国民によってとられていくはずです。

何事にもピリピリしないで、前向きに考えた助け合いを続けながらの「各々にとっての実のある人生」を歩んでいってもらえたら、いつの間にやら「実を結んだ経験」になっていくのではないかと思います。

なにはともあれ、

避難所生活もそろそろ終盤を迎えてきてると受け止めたいので、マッサージ以外でも役に立てるような振る舞いを心掛けていこうと思っています。


今回は「避難所と仮設住宅」をについて主に書かせて頂きました。

その他のことをダイジェストで紹介しますと、

半年が過ぎたこともあり、物流は問題なく流れてきています。

雇用状況については仮設に移った人達が就職活動として面接を受け始めています。

商店を再開しようとしている人達は、未だ多くの公的手続きに手を焼いています。

瓦礫は沢山目につきますが、ボランティアが手でできる程度の一般家庭における瓦礫の片づけはひと段落しつつあります。

重機が必要な瓦礫撤去はまだまだ続きます。

土手や線路といった公共の場にも悲しいかな、まだまだ散らかっている状態です。

被災者たちの心の傷は・・・、人それぞれです。



被災地から距離が離れれば離れるほど大震災も過去の出来事に変わってきているという噂を耳にします。

それに対して海外に住んでいる人達が感じる無力さと感心は強まっているような気もします。

僕は海外にいる人たちに言いたいです。

「あなた達の母国は、そんなに弱くはないですよ~!」

心配ご無用です。

引き続き、日本人として生まれたことを誇りに思ってください。

地球上に起こった「揺れ」や「凹み」や「濁り」も直に復活するはずです。

引き続き?いや、あらためて、地球に生まれたことを誇りに思ってください。

それでは
SEE---YAA----    FROM 旅人マッサージ師マサシ

---転写おわり---
[PR]
by kazunori_maruse | 2011-09-27 07:35 | 他モロモロ
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丸瀬 和憲           旅人鞄作家が『感性』という不思議な能力を磨くべく地球上を転げ廻ったのち、米子で帰農♪ という日々の日記。
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