おーい、こっちこっち。

旧ユーゴを出る前に…

ざーーーっくり、旧ユーゴの歴史まとめてみました。

間違っていたら訂正ください。



まずは、さらっと年表から・・・



1918年 「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人の王国」建国
1929年 「ユーゴスラビア王国」に改称

第二次世界大戦で一度解体…

1945年チトーの登場で「ユーゴスラビア連邦人民共和国」として生まれ変わる。
1963年「社会主義連邦共和国」に改名

ここから、独立戦争が始まる…

1991年  スロヴェニア独立宣言
       クロアチア独立宣言
       マケドニア独立(無血独立)
1992年  スロヴェニア独立
       クロアチア独立
       ボスニア・ヘルツェゴビナ独立宣言
1995年  ボスニア・ヘルツェゴビナ独立
2004年  連邦制よりセルビア共和国とモンテネグロ共和国の連合国家へと体制変更
同年    モンテネグロ独立
       セルビア独立
2008年  コソヴォ自治区独立宣言
2009年  コソヴォ自治区独立(国連加盟国60カ国が承認)

・・・





もうちょちょっと、踏みこんで…




旧ユーゴスラビアとは、解体直前、
6つの共和国、6つの主要民族、3つの宗教からなるひとつの国だった。
面積は日本の約3分の2ほどで、人口は約2350万人。

6つの主要民族といっても、もともとは同じ「南スラブ人」という民族。
スロヴェニア、クロアチア、セルビア、ムスリム、モンテネグロ、マケドニアの6つ。
そもそも、ユーゴスラビアとは、「南スラブ人の国」という意味。

しかし、東ローマ帝国(ビザンツ)により東方正教が、
ハプスブルグ帝国によりカトリックが、
オスマン帝国によりイスラム教が宣教された結果、
支配される帝国により異なる宗教に属する別民族になった。



これを前提に・・・



オスマン帝国がバルカン半島から撤退し、1918年にハプスブルグ帝国が崩壊すると、
「セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人の王国」建国。
しかし、各民族は反目し合い、混乱がつづく。
そんな中、1929年、セルビア出身アレくサンダル国王が独裁制を敷しき、
国名を「ユーゴスラビア王国」と改称。
セルビア人中心の中央集権国家は各民族の反感を買った。
デモ、反乱が頻発。
クロアチア訪問中、アレクサンダル王はクロアチアのテロ組織「ウスタシャ」により暗殺。
その混乱の中、第二次世界大戦勃発。
クロアチア独立を主張する「ウスタシャ」は、ユダヤ人、セルビア人などを迫害。
その数、数十万人。
これに対し、セルビア側は、クロアチア人、ムスリム人を殺害。民族抗争は泥沼化。。。

そんな中、チトー氏の登場。
「諸民族の友愛と団結」をスローガンにユーゴ各地で抵抗運動。
1946年「ユーゴスラビア連邦人民共和国」誕生。
ほぼ自力で開放を成し遂げたチトーは国民の英雄となった。
ソ連の社会主義にならった中央集権国家だったが、
スターリンとの亀裂を境に独自の社会主義路線を歩みだす。

1963年「社会主義連邦共和国」と改名し自主管理社会主義を本格的に進める。
しかし、1980年チトー大統領がこの世を去ると、
抑えられていた民族問題がもちあがってきた。

加えて、深刻な経済危機にも陥る。。。



そして始まる、独立戦争・・・



分権化が徹底されていたユーゴでは、地域により経済格差が8倍もあった。
最先進国はスロヴェニア。

1991年6月スロヴェニアが独立を宣言。
ユーゴ連邦軍は国境の確保を名目に武力行使。
しかし、スロヴェニアの準備が周到でわずか10日でユーゴ連合は撤退。
よって、1992年1月スロヴェニアの独立承認。

時を同じくして、クロアチアも1991年6月独立を宣言。
スロヴェニア人が人口の90%を超えるスロヴェニアとは違い、
クロアチアは、12%にあたる57万人のセルビア人を抱えていた。
しかし、民族問題が未解決のまま独立に踏み切った。
すると、多くのセルビア人が武装して、自治区を制定し、
クロアチアからの独立、セルビア本国への併合を求めた。
紛争はクロアチア全土に広まった。
しかし、武力では敗れたものの、1992年1月独立。

次に、1992年3月ボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言。
国内には、
『ユーゴ残留を主張するセルビア人』と
『独立を主張するムスリム人とクロアチア人』とに分裂。
セルビア人VSムスリム人+クロアチア人。
4月にアメリカとEC(現EU)が承認すると戦争が本格化。
それぞれ領域の拡大を目指し「民族浄化」の戦争が始まる。
セルビアが国土の7割を占め、次にクロアチア人がある程度の領土を確保すると、
今まで手を組んでいたムスリム人地域の支配にとりかかった。
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、異なる民族同士の結婚が珍しくなく、
主要3民族(セルビア人、ムスリム人、クロアチア人)の血が
何代にもわたって混ざっていた。
がたら、各民族に分かれて戦うという事は、隣人殺し、兄弟殺しを意味していた。
1995年12月ボスニア和平協定調印式。
ボスニア・ヘルツェゴビナはセルビア人が国土の49%を占めるスルプスカ共和国と、
クロアチア人、ムスリム人が51%を占めるボスニアヘルツェゴビナ連邦とになった。
この戦争で総人口の過半数となる200万人を超える難民・国内避難民、
20数万人の死者が出た。
これは、ふたつの大戦を除いて、ヨーロッパ史上最悪の戦争となった。

マケドニアは、1991年に旧ユーゴの中で唯一無血で独立を果たした国だが、
人口の25%がアルバニア系であるため、複雑な民族問題を抱えている。

最終的に、残ったのは、セルビアとモンテネグロだったが、
2004年3月新ユーゴスラビアの連邦制から、
セルビア共和国とモンテネグロ共和国による国家連合へと体制を変更。
2006年モンテネグロで独立を問う住民投票が行われ、独立派が勝利。
よって、それぞれが独立国家となった。

しかし、コソヴォ自治州に関しては明確な取り決めがなく、
今度は、ここで戦争が起きる事になった。
当時人口の85%をアルバニア系住民が占め、
アルバニア人たちはコソヴォ共和国樹立を宣言。
何もしてくれない国際社会へ失望し武力闘争主義を掲げるコソヴォ解放軍が結成される。
1998年にセルビア警察徒本格的な武力衝突を起こし、激しい戦闘へと突入していく。
アメリカをはじめとするNATO軍はセルビアに対し78日間もの空爆を行った。
軍事施設や工場だけでなく、病院、工場をも破壊。多くの民間人を巻きこんだ。
そして、2008年独立宣言。
2009年6月時点では、セルビアは認めていないが、日本を含む国連加盟60ケ国は承認。




・・・




以上。


もともとはひとつの民族だったという事、同じ血を持っているという事は、
宗教によって、こうも意味の薄いものになってしまうのかと改めて、宗教のデカさを感じた。

宗教を否定する気はないけど、戦争は大反対。
平和が一番。
みなで、安らかに暮らしましょう。
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by kazunori_maruse | 2010-08-28 04:00 | 他モロモロ
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丸瀬 和憲           旅人鞄作家が『感性』という不思議な能力を磨くべく地球上を転げ廻ったのち、米子で帰農♪ という日々の日記。
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