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岩手に来て早2ヶ月。
こんにちは、皆様。

大変ご無沙汰しております。

いかがお過ごしですか?

ここ岩手県花巻市東和町では、先週も雪がチラつきました。
ザ・ニッポンこと桜の開花は今月末との予報。
4月末のお花見、人生お初で何とも新鮮。
本当に待ち遠しいのと同時に、東北の冬の厳しさ実感しております。

いきなりですが、まず謝らせてください。
1月中旬に実家を発ってから2週間の名古屋&東京滞在、1週間の被災地支援を経て、ここの農園に着きました。
東京の予定は再会を強く希望してくださった方優先で決めてしまい、
滞在日程の事を関東在住の皆さんに連絡しませんでした。本当にごめんなさい。
近い将来、東京へ行くと思います。今度こそ是非!
または、岩手で?東北で?会いましょう!

被災地では震災の恐ろしさ遅れ馳せながら感じました。
ここにいる間、できることを少しづつやっていきたいなと思っています。
ブログに被災地で半年間支援活動をしていた旅友のマッサージ師まさしさんからの報告を載せています。興味ある方は是非。

この2ヶ月間は、麹をつくり、約800kgの味噌をつくり、チェーンソーで木を伐り、鶏を絞め、薪を割り、甘酒をつくり、醤油用の麦を炒り、どぶろくをつくり、畔を塗り、田んぼを耕し、自然栽培研修で秋田に行き、、、と
日々、人間の生き方を学び、充実した日々を送っていました。

本日は米の種まきでした。
いよいよ研修が、農家の一年が本格的に始動するのだなと新たに気を引き締めなおしです。その引き締め過ぎた気のせいで、頭、丸まりました。



約5年間何処へ行くにも何をするにも一緒だったちょんまげへ感謝しつつの断髪式となりました。
長期間に渡るその髪型のせいでまげの際の部分の毛穴が上向いてしまい刈り込みっぽくなってしまいましたが、これを機に、上向いてしまった毛穴と共に降りていく生き方していこうと思います。(この映画見ました?)
帰国して3ヶ月半が経ちますが、なんかようやく日本に帰ってきた感じがしてます。
なんだかんだ後ろ髪をひかれていたのでしょうかね。はは。
人生の新たな章の始まりって感じで、新たなエネルギーがやってきそうです。わくわくです。
んでもって清々い。洗髪も楽なこと楽なこと。

ここには、11月末までいる予定です。
復興支援に、東北旅行に、、、理由は何であれこちらへ来る方連絡ください。
ご縁を引き寄せ会いましょう。

では、今を大切に素敵な春の日々を!

また、勝手に連絡します!

お元気で!
# by kazunori_maruse | 2012-04-12 07:14 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
まだ、一年!
宮城県気仙沼市の避難所で住み込みボランティアをされていた、
旅人マッサージ師マサシさんより現地再訪の報告メールがきたので転写します。

---転写はじまり---

こんにちは、皆様。

今月頭から再び被災地入りしてボランティア活動をし、3・11を過ごした後、そのまま関東出張マッサージに流れ込み名古屋に戻ってきた旅人マッサージ師マサシです。

膳は急げ!ということでちょっと余裕をもって予定より早めに被災地入りしたつもりだったのですが、日本国内第二の故郷と化した気仙沼&大島でのスケジュールはめまぐるしく、あっという間の二週間でした。

4か月ぶりの被災地。その復興の進み具合はというと・・・、正直それほど変わっていませんでした。

ボランティアが手で拾えるぐらいの瓦礫に関しては、気仙沼も大島も目に見えて減ってきたと言っても良いでしょう。
しかしながら、重機でしかどうにもならないような瓦礫はまだまだたんまり残っています。

そしてその瓦礫達はあくまで氷山の一角にすぎず、負債を抱えた事業主の苦しみや家族を亡くした遺族達の悲しみは、一年や二年で片づけられるものではありません。

街には仮設の店舗がいくつか開店していました。去年の暮ぐらいに完成したそうです。

仮設店舗は狭いながらも二階建てで、各店舗小奇麗な仕上がりでした。

昼間はボランティアたちが詰めかけ、食事やお土産のための買い物を済ませていきます。

それとは引き替えに地元民の姿はほとんど見えません。

それもそのはず、みんな節約に励む生活をしているため外食や買い物は控えているのです。

それ故に日が暮れてくると、どうも人気がなく活気もなくなってしまいます。

せっかく復興目的に念願の仮設店舗にて営業再開できたのに、これまで来ていたはずの地元のお客さんがめっきり来ないなんて・・・。

仕方がないことかもしれませんが、悲しい現実です。

国に求める政策はさておき、単純に「今、被災地に何が必要なのか?」を考え、地元の人たちに相談してみました。

答えは「各街ごとの経済を回していくこと!」これに尽きるようです。

物資はもう必要ありません。欲しいのはお金です。

大手の企業が物資を送ろうとすると、地元の名士はこう言います。

「物資は結構ですので、いただけるならその分のお金をください。そのお金で地元の小売店に必要なものを発注します」と。

まさにこれが必要なのです。
確かに洋服を寄付されてしまったら、せっかく再開して頑張っている洋服店は商売あがったりです。
炊き出しにしてももらう側は嬉しいです。がしかし、地元の料理店はお客を逃します。

物を送る支援は終了しました。次は「お金が回る街造り」です。

日本を代表する漁港では少ない船をフル活動させて漁に出ています。
けれどもその収穫物を加工する加工会社は、未だ本調子で機能していません。
それを販売する小売業者も限られています。
ということは、未だそれらで働く従業員も募集していないため、雇用も生まれないということです。

この先、国がどれだけの対策をとってくれるかはわかりませんが、現状としてもう少しお金と時間がかかりそうです。

つまり、一般人ができることは「現地を訪れ、現地でお金を落とすこと!」ではないでしょうか?

食堂に人が入れば、自然と従業員が雇われ、食材を仕入れるため市場に足を運ぶのです。

瓦礫もかなり減ったとは言え、異常は光景は未だ幅を利かせています。

観光としてでもいいです。世界的規模で影響を受けた土地に一泊二日ぐらいでもいいので足を運んでください。

それで潤う民宿があり、食堂があり、お土産屋さんがあります。

どーしても時間のない方、現地の物を取り寄せるのもいいでしょう。

特にワカメは今が旬ですよ。現地ではワカメを刺身やしゃぶしゃぶで食べています。

個人的な見解ですが、地元のお酒もお薦めです。
「まげねぇぞ気仙沼!」のロゴで有名な地酒を現地のお店に直接注文すれば、東北の風と共に心のこもった一品が届きます。

押しつけがましく聞こえたら・・・、すいません。

これは、お薦め!と受け取っていただけたらありがたいです。 m(_ _)m

お薦めついでにもう一つ!
地元のある企業が立ち上げた企画なのですが、B級グルメでも人気の「名物!気仙沼ホルモン」を一人でも多くの人に食べてもらうべく、「出張気仙沼ホルモン屋部隊」を立ち上げ全国どこでもイベントに駆けつけて屋台を出すそうです。

イベントに心当たりのある方、ご一報くださいませ。
僕が間に入ります。

「あれから、もう一年か・・・」
と感傷に浸っている暇はありません。

「まだ、一年です!」

海外に住んでいる皆様、
被災地にも足を運べず、何かを取り寄せることもできず歯がゆい思いをされている方も多いかと思います。
今回も、一周忌として多くの人が被災地を訪れました。今後はわかりませんが、とりあえず現時点では「継続的支援を!」と互いに呼びかけ合っています。
震災をきっかけに日本国内では、前向きな力と団結力が局地的かもしれませんが膨れ上がっています。
被災地をほったらかしにはしていません。
母国を思う ’語部(かたりべ)’ として誇りをもった発言を宜しくお願いします。

それでは、
SEE---YAA---   FROM 旅人マッサージ師マサシ

---転写おわり---
# by kazunori_maruse | 2012-03-23 07:11 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
from 米子の実家
こんにちは、皆様!

大変遅くなりましたが、本年も何卒よろしくお願い致します。

元日に無事帰国しました。
家族と、そして、この本帰国の機会をくれた御爺と2年7ヶ月ぶりに再会を果たし、
数年ぶりに家族・親族とお正月を迎え身も心も本当に本当にリフレッシュしました。
日本の特にこの時期の豪華さときたら、まぁ贅沢で。。
正月のthe日本なのが日本に飢えた僕の細胞へ与える感動は半端ありませんでした。
本当に有り難かった。。。

もちろん、インドとのギャップに戸惑わないはずがありません。。
何でも便利で、時間通りで、清潔で、謙虚で、、、
母国でありながら何か異様さを感じてしまう日本の姿。
果たして何処へいくのだろうか、、ってつい考えてしまいます。
とはいえ頭ばかり動かしていても始まりませんから考動を行動へと。

まずは、日本社会でお世話になる準備やらなんやらと。
やむを得ず失効していた免許証の再交付によって、初心者マークを義務付けられてみたり、農業担い手機構の窓口にて自然農法と有機農法の違いを説明してみたり(こっちが色々聞きたいのに…)、以前使っていた携帯電話やテレビが時代遅れで?使えないって衝撃をうけてみたり(消費が美徳ですか…)、、、
サプライズや逆カルチャーショックは多々発生。
そして、これまでの人生で溜めに溜め込んだ少なくないモノ、
なかでも衣類の整理を被災地への支援物資の仕分けを兼ねてやっています。
作業中よく頭をよぎる

「使わないものを持っているのは泥棒と同じ」

っていうガンジーのお言葉。インド帰りでひとしおです。

以前に岩手への道中、軽トラで友人と再会がてら荷物を回収してまわれたらと言っておりましたが、やはり、体は公共交通機関に、支援物資は運送業者にお任せすることがベストだと思いました。
今、ある流れに任せることも大切かと。

あなたに物資を託すよって言って下さった皆さん本当に混乱させてごめんなさい。

被災地では、衣類をはじめ支援物資を必要としておられる方がまだおられるのが現状のようです。
参考までに、日本リ・ファッション協会(http://www.refashion.jp/emergency/index.html)など古着でも引き受けている団体はあります。

さて、親族に挨拶に行くため東京に今月末あたりに行きます。
短い滞在となりますが会える方会いましょう!
その後は、現状を知るという事も兼ねて被災地へ行き、一週間ほど支援の手伝いをします。

そして、いよいよ花巻市での農業研修開始です。

この極度に便利な社会の中でも、一人の行動が思いが世界を変えると信じ、決意した命の使い道を軸に一歩一歩着実に歩む、それが肝心。

今年はこれを胸に動いていきたいと思います。
改めてよろしくお願い致します。

ではでは、お元気で!

皆が安らかに暮らせる日が一日も早くやってきますように・・・
# by kazunori_maruse | 2012-01-11 16:16 | 他モロモロ | Trackback | Comments(2)
良いお年を!
ナマステ、皆様。

ご無沙汰しております。
いかがお過ごしですか?

僕は、今、インドの首都デリーにいます。

十一月末に英国を発ち再び始まった旅。
一週間のスリランカと一ヶ月のインドの旅。

あーーーっという間でした。

二〇〇九年六月に日本を出て約二年七ヶ月に渡ったこの旅も

ホント、

あーーーっという間でした。

そう、いよいよやってきましたわ、、本帰国の時が。

数時間後にインドを後にします。
空のどこかで新年を迎え、もしかしたら、ご来光も見れたり!?なんてまだまだワクワクしてもいます。

この二年七ヶ月の間で得たモノ、本当に半端ありませんでした。
簡単には言葉にできませんが、とにかく貴重でした。

この思いは、割愛してと。。

ま、改めて今思う事は、やっぱり地球が大好きで、帰国の準備はもうできているという事です。

この旅のみに限らずこれまでに何らかのご縁によって出会った全ての皆さんとの再会を心より楽しみにしています。
前回伝えたように、来年一年は岩手の自然農園で過ごす予定です。
だから、なかなか簡単にはできそうもありませんが、
どうにかこうにか再会のご縁を手繰り寄せていきたいと思っています。

では、最後になりましたが、今年も一年大変お世話になりました。
ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い致します。



# by kazunori_maruse | 2011-12-31 18:38 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
避難所生活終了!
宮城県気仙沼市の避難所で住み込みボランティアをされていた、
旅人マッサージ師マサシさんより雛所生活一区切りを告げるメールがきたので転写します。

---転写はじまり---

こんにちは!みなさん。(一斉送信で失礼します)

被災地支援に一区切りをつけ、地元の名古屋に戻ってきました旅人マッサージ師マサシです。

家族には約一か月と伝えておきながら、まさかの半年越えをしてしまいました。

十月に入り、ついに閉鎖すると告げられた避難所で生活をする被災者たち。

妥協して空いている仮設住宅に移った人や個人でアパートを借りた人、元の家の改築・修理が間に合い移っていった人など各々最善を尽くして、自分の移りゆく場所を決めていきました。

そのなかで、どうしても行く先が決まらない人達は待機所と呼ばれる場所に移動していったのでした。

僕のいた鹿折中学校避難所も例外ではなく閉鎖の日が来ました。

最後に残った二人を見送たその日の夜、体育館に泊まるのは僕一人でした。

「明日の朝に掃除と後片付けをするので、今夜も泊まっていっていいですよ。どこでも好きなところで寝てください(笑)」
市役所の職員が吹き出しながら言いました。

震災直後は足の踏み場もなかったほどの人口密度だった体育館。

5月には300人を切ったとはいえ、一人分のスペースは畳一畳もあるかないかの狭いもので、やがて段ボールで家族単位で仕切られ、お互いに顔と名前を覚え、譲り合い・・・また気を使いあいながら生活をしていた不思議な空間。

今宵はついに僕一人。

寂しくなんかありません。

むしろ任務をやりきった達成感で感無量でした。

半年前の震災直後、僕はテレビの前で葛藤しました。

とんでもないことが起こったが、さぁどうする?
「しばらくは名古屋で定職に就き、これからの将来設計を立てながら日本社会での第一歩を歩き出します」
そう家族の前で啖呵をきった手前、
「やっぱ今のなし!」
じゃ軽すぎる。
何をすべきか?どうすべきか?自分に何ができるのか?本当に自分が出しゃばっていくことなのか?

あれから半年が過ぎ、今では誰よりも被災地のこと・被災者の気持ちが分かるボランティアの一人になれたと思っています。

妙に高い天井、そして広く・・・それでいてなんだか狭くも感じる殺風景な部屋。

約10年間、宿泊施設での平均滞在日数が年間250日を超える僕ですが、今まで泊まった部屋のなかでも最大のシングルルームです。


翌朝、市役所の職員達と一緒に掃除をして、避難所は完全に体育館へと姿を変えました。

「お世話になりました!」
道場を出るときのように深々と頭を下げ、腹の底から出した挨拶を空間の隅々まで行き届かせました。

僕にとっては理想の形で避難所を後にすることができました。

それからまたしばらくの間、島も含めた気仙沼市内を挨拶回りしてから思い出深い被災地を出発しました。

半年という月日は僕の中でも一つの目安にもなっています。

旅の出発地点であるオーストラリアのケアンズにいた期間も半年。

残り半年でオーストラリアを一周しました。

インド一周に費やした期間も半年。

カナダでオーロラガイドをしていた期間も半年。

フランスのパリ、イギリスのロンドンも半年ずつ。

初めて西ヨーロッパを回った期間も半年。

北アフリカから南下を始め、西部・中部・南部経由で最南端の南アフリカまで到達したのも半年でした。

一つの場所で半年以上滞在したのは、地元である名古屋とカナダのバンフぐらいなものです。

この半年を振り返って、またこれまでの数々の半年間と比較してみて、悔いの残らない気持ちのいい半年を過ごせました。

ここで繋がった人脈も断つつもりもないし、忘れるつもりもありません。

これからの被災地支援にできる限り生かしていこうと思っています。

よそ者にとっては長い期間でも、地元の人からみたら一年でさえ「たった一年いただけのよそ者」です。

大切なことは期間の長さではなく、どんな影響を与えたことか?です。

人脈なり情報なりを生かして被災地とかかわっていく。僕に課せられた新しい任務の始まりです。

今回の被災地支援にあたり、個人的に支援金というか餞別を送ってくれた方もいました。

それらのお金があったからこそできた活動・差し入れ・行動範囲の拡大は確実にありました。

大きなことができる金額ではないけれど、個人の活動の足しにするには十分な額でしたし、何よりはっきりと顔が想い浮かぶ相手からのお金は重さが違うのです。

心の余裕と行動への一押しを助けてくれたのは、みなさんからの支援のおかげだと思っています。

金額に関係なく、あらためてお礼のメールを個人的に送らせていただきます。


「またね、気仙沼!」
そう別れを告げた出発当日、いきなり蜂に刺されて急患として市民病院に運ばれてしまいました。

10年以上も海外障害保健もなく病院にお世話になることなどなかった僕ですが、最後の最後に気仙沼市民病院で診察券を発行してしまいました。

世の中、何があるかわかりませんね。ギャフン!

あぁ・・・、ひょっとしたらこの先もこの街にお世話になるのかもしれませんね。

そんなこんなで、

宮城県を出発した後は、福島県にもちょっとだけ足を伸ばしてきました。

自由に動けない福島県。訪れた先は「いわき」です。

映画「フラガール」でもおなじみの場所ですよね。

友人宅に泊めてもらい情報収集をしたところ、放射線を過剰に意識している神経質な住民は既に街を出ていってしまったので、現在残っている人たちは比較的腰の据わった動じない人達。
確かに納得のいく保証もないままの不安定な状況ですが、ひとまず落ち着いてきているようです。

それにしても、ほとんど子供の姿が見えない公園というのは、寂しいものです。

公園が仮設住宅によって埋め尽くされている気仙沼に比べたら、まだ幾分マシなのかもしれませんけどね。

ちなみに福島以外の被災地では放射線量についての話題はほとんど出てくることもないですし、気にして暮らしている地元民はまずいないと言っても過言ではないでしょう。

なにはともあれ、

気持ちにも一区切りつけて名古屋に戻ってきました。

しばらくは適度に出張マッサージでもしながら執筆活動に専念できたらいいと思っています。

今回は早めに名古屋に戻っておきたかったので、関東・北陸・中部巡りは控えておきました。

予約が集まれば東京出張も考えていますので、誰か希望者がいましたら教えてください。

それでは
SEE----YAA---  FROM 旅人マッサージ師マサシ



---転写おわり---

# by kazunori_maruse | 2011-11-01 05:19 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
先走って、2012年。
はろ~、皆様。
いかがお過ごしですか?

お日様が顔を覗かせてないと大分ヒンヤリしてきた、ここイギリス南部。
現在、収穫期まっただ中。
相変わらず週2~4日で懐中電灯を頭にくくり、畑におります。
吐息も白くなってきました。
手袋ないと指先かじかんで収穫どころではありません。
ここ2カ月の満月の夜は天気にも恵まれ明るいのなんの。まぁ美しい。
収穫こそできないものの、懐中電灯なしで普通に歩きまわれてしまうほどに。

茄子、蕪、胡瓜、苦瓜などの実モノの時期は終わり、
紫蘇が花を咲かせはじめた今日この頃。
与えられた命を全うしようとする彼らの傍ら、入れ替わるようにして播かれた新たな命、空豆たち。野菜に限らず、花、草、虫、動物、、、命溢れる自然農の畑。


本当に気持ちがイイです。


そう、本当に気の持ちがイイです。


しかし、ここにも厳しい現実は確かにあります。
自然の循環から著しく外れると、容赦なくやってくる虫や病気。
虫に食べられ売り物になれなかった少なくない野菜達。
この瞬間に空腹で亡くなる人がこの地球上にいるというのに。。
緑肥となって来年畑に帰ってくるのだから。。
ってこれも循環だからと済ましていいのだろうか。
自然農、オーガニックって何なのか?これこそ己の欲望で自己満か。
また、自然相手で決して楽ではない農夫生活。
なぜ、人間が生きる基本である、食=生命の維持=健康を支えているにも関わらず、
会社員のように安定した収入が得られないのか。
それは、農家だから?それは違う。
これが本当の農の姿ではあるとは思えない。
そこに、持続可能は見いだせない。
次の世代、次の次の世代、そのまた次が心から携わりたいと思えるような、そんな姿。
それこそ持続可能ではないのだろうか。
じゃ、どうやって?それ辺の思いは、ここでは割愛させて頂いて。

とにかく、持続可能な農の姿を目指し、百姓修行は一生続きます。


さて、
ここでの農業研修、残すとこ6週間となりました。
その後、ウクライナ、スリランカ、インドを経て、






いよいよ、いよいよ、いよいよ、、、








2012年 元旦 本帰国致します!(チケット購入済み)







風邪気味でいつもより弱気だった96歳のお爺と電話で男の約束しました。
2年7カ月ぶりの再会を楽しみに、その時まで、お互い生きようや!って。


帰国後は、遅れ馳せながら東北大震災復興支援に現地で力になりたいと考えています。
現地の情報をネットで調べる限り、衣類など物資が足りていない現状に加え、やはり人が足りていないとのこと。復興支援の意志はあっても、会社や学校など取り巻かれている環境により動けない人々が多い中、帰国後、そりゃそりゃ身軽な僕。普通に行ってきます。
鳥取からちゃりんこで現地へ向かいたい思いはありますが、冬ど真ん中と効率がすこぶる悪そうなので却下してと。軽トラ?で実家から東北まで向い、その道中で友人との再会スペシャルを兼ねて支援物資として有効活用できそうな物があればお預かりし、ボランティア先に赴きがてらの支援物資配達が出来はしないかなど考えています。
自分だけでどうのこうの考えていても始まらないので、まずは現地のNPO団体と連絡をとり(返信待ち)、必要とされている物かつ回収可能な物であるのかなどを考慮し、臨機応変に最善と思われる手段をとろうと思います。

また、日本におけるパーマカルチャーの先駆者のひとりである酒勾夫妻が岩手県花巻市で営む自然農園ウレシパモシリ にて、2012年の約一年間研修スタッフとしてお世話になる事がほぼ決まりました。津波による被害の大きかった地区に日帰りで通える農園の立地。
休日などを利用し、 できる時にできる事を していきたいと思っています。

これまでに頂いたたくさんの愛をまずは東北を中心に少しづつでも還元していくつもりです。

ではでは、皆さん日本で再会しましょう!
再会を心より楽しみにしています。

お元気で!





# by kazunori_maruse | 2011-10-16 04:06 | 他モロモロ | Trackback | Comments(3)
半年を過ぎてfrom マッサージ師マサシ
宮城県気仙沼市の避難所で住み込みボランティアをされている、
旅人マッサージ師マサシさんより 『半年を過ぎて』 と題されたメールがきたので転写します。

---転写はじまり---

一斉送信で失礼します。

皆様、お世話様です。(これ宮城県で最も一般的な挨拶)

未だ被災地支援を続けています旅人マッサージ師マサシです。

東日本大震災より早半年と2週間が過ぎました。

現在気仙沼市にある避難所の中で代表的な三大避難所は、総合体育館、市民会館、そして僕が常駐している鹿折中学校体育館です。
三大避難所と大袈裟な表現をしましたが、現在の人数はどこも40人前後で、一月前に比べると約半分以下にまで減りました。

避難所の人数も着々と減ってきていますが、半年を過ぎても避難所が存続していること事態が問題であり、あちらこちらで非難の声が上がっています。

まずは現在避難所で生活している被災者たちは、いつ仮設住宅に移れるのか?

誰もが気になる基本的な問題ですよね。

二週間前の9月の中旬までは頻繁に仮設住宅の抽選会が行われていました。しかし最近では抽選会の話はめっきり耳にしなくなりました。

現在(9月26日付け)の避難所生活者の人数は約250人。
これらの被災者全員を受け入れるだけの仮設住宅はまだありませんので、現在もその対策を練っているところですが、問題なのはそこよりも現在ある仮設住宅に被災者たちが入りたがっていないことです。
現在空きがあるのは交通の便が悪く、遠く、不便な仮設住宅。つまり人気がないところばかりなのです。

「どうせ人数分の仮設住宅がまだ無いのなら、おそらくこれからわずかな敷地を見つけてでも新たな仮設住宅が建設されるだろう。むしろ、そうでなくちゃ困る。ならばどうせここまで待ったのだ。わずかな可能性かもしれないけど、少しでも立地条件のいい仮設住宅に入りたい」

何人からもこう言った意見を耳にしました。これが避難所にいる人たちの本音だと思います。

これも一見贅沢な意見のようにも聞こえてしまいますが、一概にそうとは言い切れないところもあり、通勤・通学までの交通手段や車のない家族にとっの買い出しのことを考えると、確かに「そこに追いやられてしまうと困ってしまうよ!」と声を上げたくなるのもわかる気がします。

市役所側からすると、不便かもしれないけど現在市内や県外に建っているた空きのある仮設住宅にできるだけ多くの被災者に入居してもらって、そのうえで次の手立てを考えたいところ。
これもわからんでもない気がします。

そんなこんなで、現在はお互いの出方をうかがっている沈黙状態。まさに「根競べ」状態です。

この「根競べ」に負けて出ていく人たちも確かにいます。
「もうここにいたってしょうがない。あきらめてこの町を出ていくよ」
「お世話になりたくなかったけど、他県にいる親戚のところに行くよ」

など仕方がないことなのかもしれませんが、心情的に残念な気持ちで見送られなければいけない人たちが、一人また一人と住み慣れた街を跡にしていきます。


「そろそろ避難所として使っていた場所を返してほしい!」
こんな意見も上がります。
公共の場でもそうですが、特に小学校や中学校にある避難所に対して向けられています。
「子供たちがかわいそう!」
無理もない意見です。
「もう避難所生活者の人数も少なくなったんだから、大きな施設一か所に集めて、他の避難所は閉じるべきよ!」
合理的に考えれば確かにそうです。
しかし実質問題、ただでさえストレス状態の高くなっている「避難所生活者最終組」を大移動させることは、知らない土地への移動を嫌う東北の人たちにとって、われわれの予想を上回る精神的負担がかかるはずです。
ご自身も被災者である気仙沼市の市長はそれを理解し、できるだけ自然な形で避難所が解散していってくれること押しているのです。

結果、現状維持が沈黙状態のまま続いている感じです。

さらに問題がもう一つ、
避難所にいる被災者のなかに未だに80歳を過ぎている高齢者の姿が見えることです。

この問題は避難所というより仮設住宅で起こっている問題にかかわってきているような気がします。

仮設住宅に移動した高齢の被災者の中で特に独り身の方が急激に弱っているようにも感じます。

震災という衝撃的な出来事がおこり、緊張のなかの避難所生活を終えて自分一人の現実に戻った時、どっと疲れが出るのでしょう。

仮設に移った独居老人から
「あぁー、避難所暮らしのほうがにぎやかで楽しかったなぁ」
という声が漏れます。
「眠るときに、このまま行ってしまうのではいか・・・と毎晩思うわ」
という声も普通に聞こえてきます。
確かに避難所という場所は高齢者には一見ふさわしくない場かもしれませんが、プライベートへの執着心が弱い高齢者にとっては一般の見解が必ずしも当てはまらないのかもしれませんね。
実際の避難所における高齢者の生活を見ると目隠し(段ボール等で作られた壁)を立てている人はほとんどいないのです。
プライベート空間よりもコミュニケーション空間。
人によって優先されるべきものは異なるようです。

その他、仮設住宅の思わぬ造りのモロさへの不満、田舎暮らしの人特有の狭さへの不満、冬越えへの不安、新たな震災への不安などなど、ただでさえ不透明な未来に加え、身近な不安が次々と上がってきているのが仮設住宅の現状です。

あくまでも僕個人的な見解で避難所と仮設住宅見る分には、
「人はどんな環境でも慣れ、乗り越える」
と思っています。
避難所がこのままでも大移動で集められても、与えられた環境で暮らしていくでしょう。

子供の適応力は大人以上です。体育館や運動場や公園がなくても、子供はどこでも遊びエネルギーを燃焼させてくるはずです。

なんだかんだで仮設住宅で冬を越え春を迎え、各々の生活スタイルをみつけていくことでしょう。

必要な物資や対策は遅れながらでも国や国民によってとられていくはずです。

何事にもピリピリしないで、前向きに考えた助け合いを続けながらの「各々にとっての実のある人生」を歩んでいってもらえたら、いつの間にやら「実を結んだ経験」になっていくのではないかと思います。

なにはともあれ、

避難所生活もそろそろ終盤を迎えてきてると受け止めたいので、マッサージ以外でも役に立てるような振る舞いを心掛けていこうと思っています。


今回は「避難所と仮設住宅」をについて主に書かせて頂きました。

その他のことをダイジェストで紹介しますと、

半年が過ぎたこともあり、物流は問題なく流れてきています。

雇用状況については仮設に移った人達が就職活動として面接を受け始めています。

商店を再開しようとしている人達は、未だ多くの公的手続きに手を焼いています。

瓦礫は沢山目につきますが、ボランティアが手でできる程度の一般家庭における瓦礫の片づけはひと段落しつつあります。

重機が必要な瓦礫撤去はまだまだ続きます。

土手や線路といった公共の場にも悲しいかな、まだまだ散らかっている状態です。

被災者たちの心の傷は・・・、人それぞれです。



被災地から距離が離れれば離れるほど大震災も過去の出来事に変わってきているという噂を耳にします。

それに対して海外に住んでいる人達が感じる無力さと感心は強まっているような気もします。

僕は海外にいる人たちに言いたいです。

「あなた達の母国は、そんなに弱くはないですよ~!」

心配ご無用です。

引き続き、日本人として生まれたことを誇りに思ってください。

地球上に起こった「揺れ」や「凹み」や「濁り」も直に復活するはずです。

引き続き?いや、あらためて、地球に生まれたことを誇りに思ってください。

それでは
SEE---YAA----    FROM 旅人マッサージ師マサシ

---転写おわり---

# by kazunori_maruse | 2011-09-27 07:35 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
夏はどこへやら。
こんにちわ、皆様!!
大変ご無沙汰しております。
いかがお過ごしですか?

僕は、すこぶる元気にしています。
ちゃりんこ旅を懐かしく思う今日この頃。
去年の今頃は、シャカリキこいでたな。

そう、多少太りました。(筋肉でだと願います。)
夏だというのに寒いからでしょうか。
この間、コート着てる人見ました。マフラーもしてました。
過ごしやすいといえば過ごしやすいですが、、、
もう少し太陽欲しいなっ~て、ここ、イギリス南部。

予定通り、アイルランドで二ヶ月間のファームステイを終え、イギリスへ無事入国。祝。
ロンドンで銀塩カメラを買って、農業研修先へ直行しました。(デジカメ譲ってしまった。)
ここ、研修先の農家では、日本の野菜を育ててます。
ざっと、
蕪、大根、水菜、白菜、春菊、人参、黄瓜、南瓜、苦瓜、茄子、とまと、紫蘇、三つ葉、
にら、長葱、枝豆、あしたば、よもぎ、山椒、、、です。
自然栽培であるから、無農薬、無化学肥料に加え、動物性堆肥も与えていません。
できる限り、地球の循環に任せて。
愛情いっぱいの野菜たち、元気もりもりです。
負けじと草も茂ってますが、良い感じに共存してます。
花も植えてあるから虫もわっさわっさです。
もちろん、それらの旬のモノいただいてます。
溢れんばかりの細胞の喜び感じてます。

繁忙期がはじまり、週二、三ある収穫の日は、
懐中電灯を頭に朝三時頃から畑におります。
何と言っても、日の出は美しい!お気に入りの瞬間です。

また、革屋さんや鞄を欲しいって言って下さる方とのご縁によって、
ゆるやかに制作も再開しました。本当にありがたいです。

そんなこんなのイギリス生活も早二ヶ月が経とうとしています。ホント、あっという間。
ここには、十一月いっぱいお世話になる予定です。
その後は、スリランカの友人のお茶園、インドの植林団体とその周辺国をさらっと訪れ、
いよいよ帰国です。さらっとですよ。さらっと。

こうして、やりたい事が出来る日々に感謝して、
限りある時間、精一杯生きたいと思います。

また、報告させて頂きます。

では、お元気で!
# by kazunori_maruse | 2011-07-23 04:29 | イギリス | Trackback | Comments(2)
支援プロジェクトとして。
お祈り以外にできる事、今の自分にできる事考えていました。

ウィーンでは旅立ち前の制作に、挨拶に、身辺整理に、、、と慌ただしい事を理由に何もしていませんでした。
が、ようやく新たな生活リズムがつかめ、やってきました。

題して、

『 Happy Cookies for JAPAN 』



コークの街で毎週土曜に開かれる青空マーケットにて、パトリックの野菜売り場の隅を頂き、買い物の小小小休憩のお供に野菜クッキーどうでしょう?
頂いた心付けは赤十字へ!っていう。

毎週土曜日、マーケットに野菜を売りに行くという事、
惜しくも販売できなかったり、売れ残り土へと還される野菜がいるという事、
24時間オーブンが動いているという事、
(アイルランドの一般的な家のスタイル)
などの現状から、ぽこっと。

こんな時こそ前向きに!!ってことでこのタイトルに。
パクチークッキーにほうれん草クッキーにディルクッキーと臨機応変。
ま、本気で飛んでいってしまうような葉っぱは入れませんのでご安心あれ。

寄付額は回数ごとに減ってきてはいますが、
怪しくてうまい野菜クッキーってことで常連さんも通りがかりの方々も楽しんでくれています。

ありがとう!

はっぴーはっぴーです。



# by kazunori_maruse | 2011-05-01 14:10 | アイルランド | Trackback | Comments(0)
只今、アイルランド
はろー、皆様。
大変ご無沙汰しております。
いかがお過ごしですか?

約一年間お世話なったオーストリアを去り、アイルランドへ入国し、早一週間が経ちました。
「あなたに会わせたい!」と紹介されたホストファミリーは素晴らしい家族で、滞在先の立地は見渡す限り緑と最高です。躍動的な雲が生む一分間で四季を味わえるというアイルランドの早い天候、心より楽しんでいます。滞在先には、イギリス人のお父さん、アイルランド人のお母さんと息子、それ加えてスペイン人とアメリカ人の仲間と犬、猫、鶏、ロバ、羊、豚、牛、馬、ガチョウと元気な野菜たちがいます。
日々、畑の手伝いをしながら多くの事を学ばせて頂いています。
ここに二ヵ月間、その後、イギリスへ移動します。
頂いた機会、存分に楽しませて頂きます。

日本が非常事態の中、自分の決意は正しいのかと考えました。
将来を見据えた時、決意は揺るぎませんでした。

できる時に、できる事を。

野菜を使って何かできないか考え中です。

静かに熱く。
# by kazunori_maruse | 2011-04-03 04:40 | 他モロモロ | Trackback | Comments(0)
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丸瀬 和憲           旅人革作家が『感性』という不思議な能力をどこまで磨けるだろうかと地球上をころころ転げ廻る日記

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